豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)

2018/04/11

2011年 2017年 2018年 京都府 広島県 武将 和歌山県

解説

[1537~1598]織豊時代の武将。天文6年生まれ。尾張(愛知県)の足軽木下弥右衛門の子。母はなか(天瑞院)。織田信長に足軽としてつかえ、浅井・朝倉両氏との戦いで功をたて、天正元年近江長浜城主となる。本能寺の変後、明智光秀柴田勝家をやぶり、11年大坂城を築城。徳川家康を臣従させて18年全国を統一。この間関白・太政大臣となり豊臣姓を名のる。19年太閤。文禄元年と慶長2年の2度朝鮮に出兵するが失敗。太閤検地、刀狩りなどの新政策で兵農分離を促進し、近世封建社会の基礎を確立した。慶長3年8月18日死去。62歳。幼名は日吉丸、のち木下藤吉郎、羽柴秀吉。

お墓

場所:豊国廟(京都府京都市東山区今熊野北日吉町)
撮影:2011年
場所:不動院(広島県広島市東区牛田新町3-4-9)
撮影:2017年
場所:高野山奥の院(和歌山県高野町高野山550)
撮影:2018年

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東京都在住の40代男性です。2005年から墓マイラーを始めました。

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